表札の歴史

家の玄関や門にある「表札」は、いったいいつ頃から我々日本人の文化に入ってきたのでしょうか?
時期としては、近代郵便制度が開始された明治の中頃だといわれています。

ただ、当時の日本では「引っ越し」というものが一般庶民の間ではほぼ無しに等しい状況だったため、表札そのものには、まだまだ意味がありませんでした。
広く普及し始めたのは大正時代であり、その転換となったのは「関東大震災」でした。

大正12年の9月1日に発生したマグニチュード7.9という大地震は、神奈川、東京を中心に住宅全壊10万9千戸、全焼21万2千戸という甚大な被害を引き起こしましたが、その後、仮設住宅への避難や、さらに復興住宅への移動をともない、多くの人が居住地を移さざるを得ない状況となり、皮肉にもこのことが、庶民の間で表札を掲げるきっかけの1つとなり、後には不可欠なものへとなっていきました。

当時の避難民は1万2千人を数えたといわれ、避難所の数もまた160箇所以上との記録もあることから、それまでにはなかった大規模な人口の移動がうかがえます。
また、全国で見ると日清・日露戦争の頃に、戦地へ家族を送り出した家が、兵役に就いた者の名前を掲げる風習が広まっており、これが後に、表札として名字を玄関に貼り出す文化へと繋がっていったと関係性を指摘する話もあります。

このように、普及していった背景には地域差も見られますが、表札そのものにも違いがあったようで、関東のほうでは、小さいものが粋として好まれる傾向にあったようですが、関西はその反対に大きいものこそ好まれたようです。

その昔、大阪には全国の諸大名が蔵屋敷を構えていて、自分たちの地産の名品をそこを拠点に換金していたようで、お互いにその権勢を競い合う中で屋敷の規模もどんどん大きくなり、それに合わせて表札や門札も大型化して目立たせるようになったのですが、これに大阪の庶民もならって大き目表札を使ったためだといわれています。

最終更新日 2025年7月8日 by yumeka