世界の歴史には様々な独裁者が記録されており、仁政や悪政を敷いてきました。
多くの人にとって良い政治家が権力を握れば独裁も悪くありませんが、ほとんどの場合で自国あるいは自身の利益しか追求しないため悪政となり批難の対象となっています。
ローマの英雄カエサルは紀元前100年のローマに生まれ貧乏貴族出身でした。
ローマ内乱の1世紀と呼ばれる時代で、カエサルは軍人・政治家として活躍しました。
家柄は元名門で大したことはありませんでしたが、偉大な政治家であったマリウスの甥にあたる人物として政界への道が開かれました。
決して美男ではありませんでしたが、女性に人気がありハゲの女たらしと言われることもありました。
演説が上手で堂々とした立ち居振る舞いがローマ市民に大人気でしたが、マリウスが死去すると政権を握ったスッラによりカエサルの出世は困難なものとなります。
スッラが死去した後は将軍ポンペイウスと貴族クラッススが政権を巡って一騎打ちという様相と見せましたが、ポンペイウスは元老院がその権力の強さを懸念しクラッススは市民たちから嫌われていました。
カエサルは何の功績もなく若造でしたが、借金をしてまで市民にパンとサーカスを提供するなど地道な人気取りを行います。
ポンペイウスとクラッススが持たない市民からの絶大なる支持を有していた彼は2人の仲間に招き入れられ執政官となりました。
これが第1回三頭政治で、紀元前58年には軍事力の基盤を固めるためにガリア遠征を行います。
現在のフランスやブリテン島などを征服しローマに近いゲルマン人を恐れる必要がなくなりました。
クラッススは東方遠征をしていましたが戦死し、それを知ったポンペイウスは元老院と手を組んで政権を握ろうとし、三頭政治のバランスが崩れ始めます。
カエサルは属州とローマの境界線にあるルビコン川を超え、ポンペイウスを倒し独裁政治の始まりを迎えました。
この時カエサルは「賽は投げられた」という有名な言葉を残しています。
ポンペイウスはプトレマイオス朝エジプトに逃げますが、王に裏切られて殺されてしまいます。
彼を追いかけたカエサルはプトレマイオス王を打ち倒すと姉のクレオパトラと結婚しローマに帰ります。
途中で小アジアを平定した時の「来た、見た、勝った」も有名です。
スペインにいたポンペイウスの残党も排除したことで、完全にカエサルに権力が集中しました。
紀元前46年には10年間の独裁官に就任し元老院から権力を奪います。
圧倒的な軍事力を持っていたため最高司令官として、ローマの内政を決めていきました。
海外の植民市に無産市民を入植させたり、太陽暦を作成したりと様々なものがあります。
彼が独裁者となったのは、有力な貴族が政権を握る方法は小さな都市国家にしか通用しないと認識していたためです。
圧倒的な軍事力で領土を拡大していったローマで、同じ方法を取っても効率が悪く発展が見込めないと考えていました。
そこで彼はローマ大帝国を作るために王の存在を求め、自分がそれになろうと望んでいました。
しかしローマは王政を倒し共和制を作り上げた都市なので、王政に良いイメージを持ってはいません。
パルティア王国に遠征に行く時はローマ市民たちの反発を最小限するために本国の外でだけ王の称号を用いることにしましたが、それについて元老院で審議する紀元前44年3月15日にローマに王はいらないとして暗殺者たちが現れます。
その中には古くからの友人で腹心でもあったブルトゥスもいたため、「ブルトゥスお前もか」という言葉を残し倒れたとされます。彼の野望は果たされることはありませんでしたが、後継者であるアウグストゥスに引き継がれていました。
アウグストゥスは当時18歳の無名な青年でしたが、カエサルの暗殺後に後継者に指名されていたと知ると人々に知られることとなり、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスと名乗りました。
パルティア王国を打ち破りカエサルの後を引き継ぐ者としての力を誇示し政治家デビューを果たします。
カエサルの死後はアントニウスが単独執政官となり権力を握っていました。
アントニウスはカエサルの公的遺産を着服していたため、アウグストゥスは譲るように言いますが聞き入れてもらえずカエサル支持者から同情されました。
支持者の数は多かったためアウグストゥスは権力を持ち始め、紀元前43年に行われた第3回三頭政治でカエサル暗殺の名目で元老院派を粛清し、翌年カエサルを神格化して神君ユリウスとしました。
その後カエサルの副官や周囲が数度にわたって尊厳者を意味するアウグストゥスを名乗るように提案したことで、インペラトル・カエサル・アウグストゥスとなりました。
これが初代ローマ皇帝の誕生した瞬間であり、独裁者カエサルの志は果たされました。
独裁者は政治家として悪いイメージを与えがちですが、カエサルがローマ帝国の礎を築いたことは確かです。
※「畑恵さんのフェイスブック」より一部抜粋
最終更新日 2025年7月8日 by yumeka